尺八の歴史    

  投稿者 MILK   

  *****************尺八の歴史と文化*****************

日本の音楽史の中で、尺八と言われる楽器が時代と共に様々な形で登場してきました、しかし時代に絡む尺八の進化の歴史は明確さに欠け、その実体は希薄で、現代に於いてもいまだ未完成とも言える尺八の進化の歴史を正確に記述することは出来ません、私の乏しい範囲の資料を勝手に解釈し、年譜と共に表して見ました、間違った解釈や記述が、多々あろうかと思われますが、記述の誤り、解釈の違いについて、ご指摘またご意見を頂ければ幸いです。


古代尺八6孔3節の時代
607年 古代ヤマト文化は、当時の先進国であった中国(隋)との交流により、文化や渡来新宗教である仏教の影響を大きく受けていて、古代尺八もその頃、中国から入って来た可能性もあるとも思われます。
6世紀末 聖徳太子も尺八を吹奏したとの記述があり、その頃の尺八は6孔で第3孔を主音とする7音階の楽器で、主に宮廷音楽の雅楽で用いられていたようである。
7世紀中

現存している最も古いとされる尺八は、東大寺の正倉院に納められている、百済の義慈王によって朝貢されたものとされているが、当時の朝鮮の音楽に尺八が存在していたか疑問もある。

8世紀 宮廷音楽の雅楽(その中でも中国系の唐楽を主体に)の合奏楽器として尺八は使われていた
奈良時代

宮廷音楽の散楽(滑稽な物真似や曲芸、手品に使われる宮廷饗宴楽)の伴奏楽器として尺八は使われていた

840年 楽制改革により、平安時代に入ると雅楽の合奏楽器から尺八は消える、
6孔から5孔への変革期
平安時代

奈良時代に伴奏楽器として使われた散楽の尺八が、

猿楽(滑稽な物真似や宗教的芸能)

田楽(曲芸や奇術)

浮浪芸(門付芸)

などの民間塾能に使われるようになってきた、その頃の尺八は6孔では無く、5孔のものであったと言われているが。中国の音階である7音階の楽器を日本の音階である5音階に適するように改良されたと思われる。また6孔尺八は3節で出来ているのに対し、5孔尺八は1節で出来ていました、また6孔尺八は「呉竹」で出来ているのに対して、5孔尺八は日本では資源の豊富な「真竹」を使用していました。

5孔尺八の祖型の完成期と普化尺八の出現

鎌倉時代

5孔尺八の短管である「1節切」(長さ1尺1寸1分の黄鐘切)が器楽として演奏技術が進化するなかで、5孔尺八の長官(5孔3節、長さ1尺8寸)もまた禅宗と共に普化尺八の流れを築き始める、

13世紀 時宗や禅宗の僧が尺八を好み、音楽的表現力に富む普化尺八が庶民に普及しはじめたのは、鎌倉時代中期で、尺八は5孔3節の形をとっていた
14世紀

この普化尺八の流れは禅僧・覚心、が宋に留学した際、中国の張参より尺八曲を学び、後に和歌山県の興国寺の住職となりここが普化尺八の大本山となる、

15世紀 覚心の門弟、寄竹は京都に「明暗寺」を建て、法伏とその門弟の金先は、下総(千葉県)の小金に「一月寺」を、青梅に「鈴法寺」を建て、かくして「明暗寺」が関西の普化尺八の本山となり、「一月寺」と「鈴法寺」が関東の普化尺八の本山となった。その後門弟も増え各地に普化尺八が普及する事になる
16世紀 5孔1節の短管尺八に「1節切」の名が付いたのは16世紀の半ば頃で、その後「1節切」の名は5孔1節の尺八の代名詞として使われるようになる。中世の尺八音楽は「手」あるいわ「手事」と呼ばれる器楽曲中心で歌や他の楽器との合奏は本来ある姿から外れるという思想があった
17世紀後半

それまで器楽曲中心で伝統を受け継いできた5孔1節の短管尺八である「1節切」は「乱曲」と言われた、歌ものの伴奏にも用いられるようになるが、音楽的表現力に富む普化尺八が庶民に普及し始めた18世紀に入ると、この「1節切」は急速にすたれていった

普化尺八の時代
1677年

江戸時代へとはいると、浪人も普化宗の門弟に入る者も多くなり、幕府は普化宗を宗教として公認するための掟を出す、浪人の統制と保護を目的に、尺八を虚無僧専用の法器とし、一般庶民の使用を禁止した。普化尺八は5孔3節、1尺8寸、の長管である

18世紀

その後浅草に、一月寺、鈴法寺、の寺務所を設けることとなる。また上方尺八指南所、江戸尺八指南所が出来て、宗法を無視して一般町民に稽古をつけ本則と言う免状を出した(疑似家元制)

18世紀中 尺八の名手といわれた、元福岡藩の浪士、黒沢幸八が、「琴古流」を創流。
1850年

吉田一調、山田流と結び、外曲ものを重視、手付多数生む
近藤宗悦、本曲は明暗流を習得、外曲もの(主に地歌)の手付多数生む

1871年 普化宗が廃止され、尺八は法器から楽器として庶民に普及する事になる
明治前期 民謡尺八、江差追分等の伴奏に用いられる
1890年 明暗教会設立
19世紀後半

三浦琴童、本曲の楽譜化

川瀬順輔、琴古流楽譜の公刊

1896年 大阪の中尾都山は、稽古所を開設し、「都山流」を創流、新しい尺八本曲の作曲、楽譜の改良と公刊、宮城と結ぶ
現在 現在の尺八界は「明暗」「琴古」「都山」「民謡尺八」と流派も多彩で、西洋の楽器と合奏される近代楽器として、尺八製造技術も発展する中、教育現場にも尺八を取り入れようとする向きもあり、今後の変貌がますます楽しみであります